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2008/5/2 氷川丸を見物してサンデー毎日の自分としては、世間で言うゴールデンウィークとは、関係ない身分であるが、四月三十日に
氷川丸見物をした。一般の船たちが、三十年間程度で世間から消えてゆくが、氷川丸については、七十八年間も
現役で活躍している点に、特に魅かれた。(この見学に関するアルバムalbumはここをクリックClick)
(ハナミズキの枝越しの氷川丸Photo by Goemon)
氷川丸活躍の一端:
以下にウィキペディア により氷川丸の戦歴、性能諸元を列記する
氷川丸の概要
日本郵船の所有。北太平洋で展開されたアメリカやカナダとの貨客船就航(路線)競争の一環として、 政府の援助も受けて6隻の船が建造された。それが17,000総トン・速力20ノットでサンフランシスコ航路に就航した 浅間丸・龍田丸・秩父丸(後に鎌倉丸)と、シアトル・バンクーバー航路に就航した日枝丸・平安丸・本船である。 船名は埼玉県さいたま市の氷川神社よりとられた。因みに現在でもブリッジの神棚に氷川神社が祀られている。 海上人命安全の為の国際条約に沿った水密区画構造、アール・デコ様式のインテリア、オーシャンライナーという 船型、 一流シェフによる料理などのサービスの提供など、建造当時の先端をいく船として建造された。 電源はこれまで主力であった直流から交流電力に変えられ、客室での電圧低下などが避けられるようになった。
(人工衛星搭載の電源に関しては、最初の有人飛行ウォストークから現在飛行しているNASA宇宙基地以前まで 直流が搭載されていた。自分が初めてM社で関係した、同基地内JapanModuleから、交流電力になったはずである。 また、この船はMHI横浜の建造であるが、発電機は兄弟会社であるM社製でなく池貝製であるというのも興味がある。) 病院船時代の氷川丸 太平洋戦争中は日本海軍に徴用され病院船として使用される。同じく徴用されていた姉妹船の日枝丸 (特設潜水母艦)と 平安丸(特設潜水母艦)が戦没する中で、本船は3度機雷に触雷するも生還を果たす。 また、当時病院船氷川丸船員からの証言によると、太平洋戦争中、病院船として運用されていたが、 運行中に米軍潜水艦に追尾され5日ほど監視されていたという。 当時、氷川丸船内には軍用航空燃料が詰まれており、 万一敵潜水艦から臨検を要請された場合、航空燃料搭載が発覚すればこれは病院船としての扱いを 喪失するものであり、 拿捕、撃沈の危険性があった。 臨検を受け、病院船が軍事輸送船として 運用されていたことが明らかになれば、 国際法に反し、日本がさらに国際的に立場が悪化することが十分に有り得た。 そのため、船内にはこの事例に対する対策として自沈装置が設けられており、 臨検を受けざるを得なくなった場合に 自沈することを 指示されてたという。緊迫した空気の中、監視から五日、敵潜水艦は監視をやめ、 海中に姿を消し氷川丸は難を逃れた。 1960年に運航を終了するまでに北太平洋を238回横断、延べ25,000人余りの乗客を運んだ。
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